長さと状態/寿命に関して

シンギュラリティーの予測で名高いレイ・カーツワイル博士が、2029年以降、「人類の寿命は、技術の進化で1年につき1年づつ延びていく」と発言しました。
結果として、「500歳まで生きられる可能性が出た」とのことで、その見出しをいろんなニュースで目にします。

ところで、これまでにも「論理的には、人は150歳まで生きられる」という説はありました。
細胞分裂の周期は約3年で、その回数の限界が50回程度だからです。
しかし、今回のカーツワイル氏の予測は、そうした自然の摂理にもとづくものではなく、科学が寿命を延ばす可能性について。
カーツワイル博士は人工知能の専門家なので、そちらサイドからの予測ですね。

ちなみに、カーツワイル博士のすごさ(特に早熟ぶり)はWikipediaの解説だけでも感じられます。
また、まさに寿命を延ばすテーマに関しては、『不老不死ビジネス』という本につまびらかです。

1960年12歳の時、コンピュータに触れ、以後夢中となり、統計分析のプログラムや作曲を行うようになる。高校生の時テレビ番組『I’ve Got a Secret』に登場し、コンピューターに作曲させた音楽を披露。同発明で、国際科学フェア第一位を受賞。

Wikipediaより

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もちろん、ただ寿命が延びれば嬉しいわけではなく、そこにはやっぱり『健康に』という条件がつきますよね。
裏返して言えば、日々気持ちよく過ごせるのであれば、実は『長さ』はあまり関係ないのかもしれません。

かつては『人生五十年』と言われていたので、そこから考えればわたし(たち)は十分長く生きているわけですし。

あらためて、日々を『ご機嫌』に過ごしていきたいと思いました 😊

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宝物としての言葉

『宝物』って、人によってマチマチですよね。
宝石や時計が宝物だという人もいれば、家や車を大切にしている方もいらっしゃるでしょう。
あるいは、家族や友達といった人。
もしくは、理想や信念というように、形のない場合もあります。

そうした中、『本』という人も一定数いて、わたしはそこに属しています。
人も大切ですが、人って(わたしの中では)『宝物』という呼び方になりません。
たぶん『物』の部分がひっかかるんじゃないかな?

じゃぁ、あらためて「どんな本が宝物か?」と言うと・・・
特に漫画家:星野之宣さんと英文学者:高山宏さんの著作です。
値段にすると、全部で6〜7万円くらいでしょうか。
ずいぶんとお安い宝物です 😊

ともあれ、本来『宝物』はお金に換算することのできない、プライスレスな結晶。
それらの本は、何度も読み返したという意味では、膨大な時間とセットになっています。
人生とは『生きた時間』のことですから、それらは単なる紙とインクの束ではなく、『人生のタイムカプセル』とも言えるでしょう。

突き詰めていけば、たとえば『車』にしても、物の部分よりも経験やイメージが思いの源泉になっている場合もあります。
走ることの喜びや美しいデザイン、憧れの車種の歴史などにひかれているとすれば、車という物質はある種の記号です。
その場合、けっこう『本』に近いですよね。

さらに言えば、そうした思いを誰かに伝えようとすれば、当然『言葉』が必要になります。
そして、言葉は誰のものではないってところがいいですね。
それは、人類全体の宝物であり、誰も独占はできません 😊

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マスクの中で微笑む理由



花粉症に関してです。

わたしも以前はけっこう花粉に悩まされていたのですが、ここ数年はあまりひどくなっていません。
理由は、マスクです。
以前は面倒くさくてしていなかったのが、コロナ禍で否応なくそれをつける習慣がつき、それ以来、花粉症の症状がグッと軽くなりました。

災い転じて福をなす(というほど大げさでもなく)……
むしろ「だったら、最初からそうしてろよ」> 自分 という感じです。

ちなみに、コロナとも花粉症ともまったく関係ありませんが、わたしはできるだけマスクの中で微笑むようにしています。
小さなお子さんとすれ違った時や、笑っている人のポスターを目にした時など。
マスクなしでやるのは、若干危ない感じなので、これまたマスクの効能の1つと言えます 😊

「どうして微笑むことを意識しているのか?」というと、頬の筋肉は使わないと衰えるからです。
高齢の方が表情にとぼしくなるのは、感受性が鈍るからではなく、顔の筋肉が衰えるからなのだとか。
そして、筋肉は使わないと衰えます。

マスクをしていると、表情をつくる必要自体が薄くなりますから、これ、意識した方がいいことだなぁ、と。
そんな風に考えた結果です。

なお、『笑う門には福来る』「幸せだから笑う」のではなく「笑っているから幸せになれる」という意味ですね。
まわりの現象は自分が発する波長に共鳴して起きますから、笑っている人のまわりでは笑えること(=幸せなこと)が増える道理。
『辛い時ほど笑った方がいい』というのも、同じ原理です。

というわけで、マスクをしている時こそ笑いましょう 😊

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どこまでが自分か?

教育家:森信三さんの言葉に次のような一節があります。

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
 しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」

初めてこの言葉を聞いた時には、「そんなものかなぁ」と思ったものです。
その感覚は、ナポレオン・ヒルさんの代表著作『思考は現実化する』に出会った時も同じでした。
かれこれ10年ほど前ですが、「だったら苦労しないよ・・・」というのが当時のわたしの反応。
ただし、「いつかは、そういう感覚がわかるようになるのかも・・・」という、漠然とした期待もありました。

どんな分野でも、踏み出した時には、雲をつかむ感じがするものです。
しかし、やがて少しづつ手応えが出て、最終的には腑に落ちる瞬間がやってきます。
それこそ『一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」 😊

森信三さんの言葉も、ナポレオン・ヒルさんの著作名も、『世界は自分の意識の投影である』ことが納得できれば、むしろ『当たり前』に感じられてきます。
外界と自分を完全にわけるのではなく、それが地続きになっている感覚です。

そのイメージを理解するには、コップに入った水を飲むたとえがわかりやすいでしょう。
手に持っている時には『水=自分』とは考えにくいものですが、口にふくんだり、飲み込んだりすれば、その水は完全に『自分の一部』になります。
逆に、その水がおしっこになって出た時には、『自分の一部』ではなくなる感じですが、不思議ですよね。
一瞬前まで、自分だったはずなのに 😊

つまり、そのイメージをふくらませていけば、実は『自分』という境界があいまいなことが腑に落ちてきます。
わたしはまだそこまでの境地には達していませんが、それもまた「いつかはわかるようになる」のかもしれません。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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全人類は補欠化する

例によって岡田斗司夫さんの動画ですが 😊
この『全人類は補欠化する』という予想も、確度の高いものだと思います。
というか、『人は地球上でもっとも賢い(と、自分で思える)存在ではなくなる』という、わたしの見立てと全く同じなので、なおさらそう感じるのでしょう。

岡田さんが指摘しているのは、ほんの少しの最上層(=レギュラー)を除いて、ほとんどの人が補欠的な役割をになうという状況。
この『補欠』という表現が絶妙ですよね。
退部とか、除籍といったハードな否定ではありません。
つまり、AIがすべてを支配するとか皆殺しにされるといったイメージではなく、ぬるく生かされている感じです。

岡田さんはそれを『ゆるいユートピアのようなディストピア』と表現されています 😊

実は、この問題はAIに始まったことではなく、昔からあります。
そのものズバリ、スポーツにおける補欠の心情。
あるいは、甲子園に行けなかった数多あまたの高校球児たちの思いです。
それを、どう考えるのか?

仮に、『優勝だけに価値がある』と規定してしまうと(もちろん、それを目指すわけではありますが)ほとんどすべての人の存在は否定されてしまいます。
しかし、人にはもっと大切にしたいものがあります。
AI時代は、その『大切にしたいもの』に正面から向き合うことになるわけです。

たぶん、これまでの時代以上に『感謝』『希望』が人を輝かせていく。
AIがもたらすのは、そうした社会だと思います。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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