7:スペーシャルの入門講座/NFTの裏道

スペーシャルは、本当によくできたサービスです。

https://spatial.io/

Spatial


もともとはチャット・システムとしてスタートしたらしく、アバターを使ってのコミュニケーションが基本機能となっています。
ただし、出色なのは、アバターのいる空間を自由につくれることです。

しかも、何もないところからつくるのは大変ですが、スペーシャルにはいくつかの空間(主に、ギャラリーと会議室)がフォーマットとして準備されています。
つまり、建物からつくる必要はないのです。
出来上がっている空間に物(の立体データ)を置いたり、壁に絵や動画(のデータ)をかけられるので、とても簡単に展覧会場がつくれる、という仕組み。
インテリア・コーディネーターをイメージしていただくと善いと思います。


もともと美術畑にいて、リアルな個展やグループ展をやっていたわたしには、それはとてもイメージのしやすい使い方でした。
そして、スペーシャルを使えば、『誰もが、自分の大切にしたい物を飾っておける空間をつくれるんじゃないか?』
それこそ、わたしがメタバースに感じた大きな可能性です。
そのことに関する企画ページはこちら ▼▼▼


たとえばアイデアと資本力があり、実現したい世界がある人や企業は、どんどん新しい世界を構築していけばいいと思います。
ただし、その場合にはやはり『集客』が課題になってくるので、『相変わらずそこで悩むんだったら、リアルと変わらないなぁ』とも感じます。
むしろ、個人ユースにこそ、メタバースのおもしろさはあるのではないでしょうか?

幸い、スペーシャルはとても簡単に操作できるシステムです。
そこで、何をしていくにせよ、『まずは、スペーシャルを使える人を増やすことが肝要ではないだろうか?』と考えました。
自分がある程度使えるようになった段階で、筋道を整理し、3週間で習得できる『スペーシャル入門』講座をつくった理由です。
その講座のご案内ページは、こちら ▼▼▼

メタバース講座

6:まずはメタバースへ/NFTの裏道

2022年に入り、NFTアートにひかれながらも、わたしの興味や活動は一旦メタバースに向かいました。
今から思えば、そこに『つくる』要素があったことが大きかったのだと思います。

とかくメタバースは、大がかりな仕掛けがイメージされがちですが、実際には個人でスペースをつくったり飾ったりできるサービスもたくさんあります。
『Spatial/スペーシャル』もその1つでした。
いくつかのメタバース・サービスを体験してまわっているうちに、たまたま出会ったと記憶しています。
登録すると、自宅(として使える)スペースにアバターで放り出されるのが印象的でした。

https://spatial.io/

Spatial


多くのサービスが、でき上がっている空間に導かれるので、まずはアウェイ感から始まるんですよね。
その点、ホームを出発点にしてくれるスペーシャルは、とても気持ちが楽でした。
他にもいろいろと善いところはありますが、この最初の気遣い(というか、おもてなし感)はかなり突出していると思います。

以降、半年ほど、スペーシャルに関する活動が中心になり、Web3に対する自分の軸になっていきました。

5:NFTへ向かうきっかけ/NFTの裏道

自動運転に興味を持ってから、しばらくテスラの動向を追いかけていました。
知れば知るほど、イーロン・マスクという人はおもしろく、とても刺激的でした。
川崎にあるディーラーで、実際にテスラに試乗させてもらったりもしましたよ(笑)


一方で、メタバースやNFTについても、少しづつ情報を集めていました。
特に、デジタルデータの唯一性を担保するNFT(Non-Fungible Token:代替不可能なアイテム)は画期的で、「あっ。違う時代に入ったな」と感じたものです。

わたしが大学生の頃(1980年代)には、ヴァルター・ベンヤミン氏の複製技術時代の芸術がとても重要な文献でした。
骨子は『複製された物にはオリジナルの持っているアウラがない(ベンヤミン自身はそれを肯定的に捉えていた)』という指摘ですが、それって『物質』に対して『価値』をつける風潮がある、ってことなんですよね。
わたしは、その『物質崇拝』に違和感があったので、ブロックチェーンによってデジタルデータのオリジナリティが保証されるという仕組みに、特にそそられたのだと思います。
つまり、『考え』『発想』に直接価値がつけられるイメージです。

また、デジタルデータを『つくる対象』にできる点も魅力的でした。
というのも、わたしは作品に限らず、料理や計画など、何かを『つくること』が大好きなんですが、物理的な作品づくりは環境への負荷という点で、常に小骨がのどに引っかかっる感じがあったんです。
けして、他の人の創作活動を否定するつもりはないのですが、アートが人生のプラスアルファであるならば、それはできるだけ環境負荷の低い形であってほしい(と、わたしは感じるのです)。
たとえば、絵具のいくつかの色(特にカドミウム系)を洗い流す時には、ほんのりとした罪悪感がともないます。
かと言って、ポリタンクに入れて保管しておくほどの物ではなく・・・。

デジタルデータにしても電力を消費するわけですから、オールOKというわけではありませんが、環境への負荷イメージが物理的な作品づくりよりも(わたしの場合は)大きくありません。
その問題は美大に在籍していた当時からずっとかかえていた悩みだったので、その点でもNFTアートは魅力的だったのです。


とはいえ、直接NFTに関わるつては何もなく、『おもしろい』と思いつつ、半ば放置していました。

そんなわたしがNFTアートに踏み出すきっかけになったのは、『美術手帖』の2022年12月号でした。

端的に、わたしのNFTアートの出発点は、この1冊からだったと言えます。

すでに情報に通じている人からすれば、「ようやく」だったのかもしれませんが、情弱だった人間にとっては「よくこれだけ集めたな」というほどの網羅的な内容でした。
ただし、『出発点』とは書いたものの、暗号通貨にもまったく関わったことがなかったので、『ウォレット(Web上のお財布)をつくるところから』というハードルの高さ。
要は、すぐには動けず、その後も4ヶ月間ほど静観した感じでした。

一方で、facebookが社名を『Meta』に変更したこともあり、メタバースへの興味は一気にふくらんでいきました。

4:まずは自動運転/NFTの裏道

「コンピューターの進化を、しっかり追い掛けなければ!」と思ったわたしが、最初に調べたのは、実は車の『自動運転』でした。
いきなりメタバースやNFTアートではなかったんですね。
というのも、Web3に興味を持つのは一部の人たちですが、自動運転はそれこそ社会全体をゆるがす大変革になるからです。

そして、あらためて情報を集めてみると、技術の進化はわたしが把握していたよりもさらに加速し、大きく分岐をしていました。
車の自動運転の分野で、台風の目になっているのはテスラでした。
大げさに言えば、『テスラか、テスラ以外か』と言ってもいいくらい、イーロン・マスク氏の舵取りは突出しています。


というのも、ほとんど全てのメーカーが開発中の自動運転は、バーチャル空間にリアルな空間を再現し、そこでの走行をトレースする『ジオメトリー方式』です。
一方、テスラは車に搭載しているカメラで周囲の情報を取得し、車が完全に自律して動く『ヴィジョン方式』による自動運転を目指しています。
おそらく、多くの方が持たれる『自動運転』のイメージはヴィジョン方式のはずですが、実はそれを進めているのはテスラだけなんですね。


何故でしょう?


理由は、ヴィジョン方式の方が難しく、いつ完成させられるか、わからないからです。
それは技術的な問題とも言えますし、経営の胆力の問題とも言えます。
完成させるまで、会社の資金ぐりを維持できるかどうか。
特に、テスラのような新興企業にとっては、それは大きな賭けです。

一方、ジオメトリー方式は開発が段階的に進められますし、現時点でもかなりの完成度に至っています。
ただし、もちろん欠点もあって、ジオメトリー方式には走らせたい場所の精密な地図データが必要になります。
つまり、地図がつくられていない場所を走ることはできないのです。

それを考えると、最終的にはテスラのヴォジョン方式(から展開される技術)が主流になるのではないでしょうか。


いずれにせよ、一見メタバースと直接関係なさそうな『自動運転』の分野おいても、実はバーチャル技術は大きなポイントなんですね。
そんなところから、わたしは徐々にメタバースとNFTアートに近づいていきました。

3:顔の向きが違った理由/NFTの裏道

前回の記事で、2010年頃がコンピューターの進化の曲がり角であり、その頃から性能が別次元に入ったことを見ました。
しかし、迂闊にも、わたしはその重要性を深く認識できていませんでした。
もっと言えば、わたしだけでなく、日本全体がちょっと違う方角を見ていた気がするのです。

むしろ、わたし(たち日本人)は、とても後ろ向きになっていました。


何故か?


いろいろな理由を指摘できますが、中でも東日本大震災の影響が大きかったと、わたしは考えています。
失われた幸せ取り戻すために、わたしたちは『進化』よりも『復興』を強く意識したからです。
さらに言えば、『原発』という、それまで目をそむけてきた問題にも対峙しなければなりませんでした。
つまり、コンピューターの進化が生み出す未来とは、まったく逆の方向に顔を向けていたわけです。

先の図は、そのことをわたしに気づかせてくれました。

なお、そんな時には『失われた10年』といった表現がされがちですが、わたしは『失われた』とは思いません。
間違った努力にも意味はあるからです。
あるいは、道に迷ったからこそ出会えるチャンスもあるでしょう。

気づいたところからがスタートです。
わたしの視界にNFTアートが入ってくるようになったのは、端的に顔の向きを変えたからでした。

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