ドローン付きの傘 —— ショート動画 ▲
日本人の定義としての『日本語』
このところ、世代間の感覚の違いについていろいろと考えていますが、逆に共通項の希望もあります。
それは『日本語』です。
もちろん、これまた世代によって使い方やニュアンスは違いますが、相違点にばかり着目していると、人は不幸になりがち。
「あなたとわたしは違います」という感覚は、端的に分離意識なので、その果てにあるのは孤独だからです。
一方、共通点にフォーカスすると、人は『つながり』を感じられます。
たとえ細かい要素は違っても、『日本語』という大枠を共有していることの安心感と希望は遠大です 😊
ちなみに、わたしは『日本人』の定義を『日本語をつかう人』としたらいいんじゃないかと思っています。
というのも、『人=民族』という公式にはいろいろとややこしい、そして悲しい歴史がからみ過ぎるからです。
また、「日本で生活している外国生まれの人」と「外国で生活している日本生まれの人」のいずれも包括できる概念は何なのか? と問う時、『言葉』は魅力的な鍵になってくれます。
ある意味で、言葉は『道』に近いのかもしれません。
それを極めた人も、そこに最初の一歩を踏み出した人も、『道』はひとしく『その地平を歩む者』と定義づけてくれるからです。
茶道、書道、剣道、柔道・・・
にならって言えば、『語道』かな? 😊
さらに言えば、宇宙への進出が当たり前になれば、『国境』という物理的な境界は国家の輪郭としての意味を失います。
その時、『日本人』の規定は、『日本語をつかい、日本の法を遵守する人』になるはずです。
言葉の歴史に感謝し、言葉の未来に希望をいだくことは、人生の幸せに通じるのではないでしょうか。
そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい
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マンガに見られる世代の違い
時系列に、日本のマンガ(に代表されるカルチャー)が子供化していく流れを解説した山田玲司さんの動画です ▼▼▼
このまとめ方は、ムチャクチャわかりやすかった!
ちなみに、わたし自身は第2世代から第3世代あたりにマンガ体験が濃かった人間です。
なので、実は手塚さんや赤塚さんの作品って、オンタイムでは苦手だったんですよね。
ちょっと乗れなくて・・・
逆に、後の世代にあたるスラムダンクも、連載当時ではなく、後から読み直した感じです。
つまり、マンガという大きな枠組みの中にはたくさんの作品がありつつ、そこにはいろんな世代が混じっているということ。
だから、個人的な嗜好ももちろんありつつ、『各世代にうける作品』があるんだなぁ、と。
そのあたりの感覚が、とても腑に落ちました。
そして、そうした世代間の違いは、格差と呼ぶよりも、単に『偏差』なんだと思います。
どこかの世代が優れているといった話ではなく、技術進展や価値観の変化によって異なるリアリティーが生まれる現象だからです。
問題は、そうした違いを『どう共存させていくか?』ですね。
ビジネスよりの人たちはすぐに『最先端』に行きがちで、もちろんそれはそれで大切なんですが、実際にはリアリティーが1つの世代(感覚)に集約されることはありません。
これからの社会課題は、そこかな、と思っています 😊
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善い思い出ってよみがえりますか?
突然、昔の失敗などが思い浮かぶことはあっても、善かった記憶がいきなりよみがえることって「あんまりないなぁ」と思います。
『フラッシュバック』とまで行かなくても、何かの拍子に「あちゃぁ」となる感じ。
時には、軽く声や舌打ちも出たりして 😛
一方で、ふいに善かった記憶が思い浮かぶことって、ほとんどないんですよね。
個人差はあるかもしれませんが、少なくともわたしはそうです。
危険回避をしようとする生存本能的には、それでいいのでしょう。
同じ失敗をしないように心がける人は、成功に酔っている人よりも、生存確率が高いと思います。
思い出し笑いまでしてしまうと、気持ち悪がられますし。
とはいえ、幸福度的には、ふいに善い思い出がよみがえることもあっていいと思うんです。
何か、そういう例がないかと考えていて『いちご白書をもう一度』が思い浮かんだのですが、あらためて調べてみたら、それって荒井由美さんの曲だったんですね。
ばんばひろふみさんがつくったとばかり思っていました 😊
バンバンのメンバーであるばんばひろふみは、当時ラジオの深夜番組においてディスクジョッキーとして活動し人気も高かったが、デビューから4年経過してもまだヒット曲がないことに焦りを感じていた。その頃、荒井由実(現・松任谷由実)の曲を聞き「他の女性シンガーとは違う。キラキラしたすごい才能」と感銘を受けたばんばは「彼女の曲で売れなければ諦めもつく」と考え、最後の曲として荒井に書いてもらいたいと思い、荒井に会うためあらゆる伝を探し行き着いた所が松任谷正隆であった。そしてばんばは荒井と直接会い、条件を何も付けずに一曲依頼した。この曲のヒットによりバンバンを継続することになり、ばんばは「バンバンの寿命を延ばしてくれた曲」と語っている。
Wikipediaより
いやぁ、世の中は知らないことだらけですね。
あの 😊 松山千春さんがゆーみんを褒めているのも驚きでした。
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