中華料理屋で『鶏肉とカシューナッツ炒め』を注文したら、『豚肉とキャベツの味噌炒め』が出てきたおじぞうです。
😊 そのまま美味しくいただきました
画像生成AI/レオナルドくんと一緒に描いた、昨日の1枚です ▼▼▼
さて、9月のNFTコレクション・リリースに向けて、着々と準備を進めています。
ところで、この『トラスト・プロジェクト』の最も大きなコンセプトは、『争いのない未来の提示』です。
とかく未来SFは戦争チックになりがちですが、未来は『そうなるだろう』という予感(というか、無意識の信念)通りになります。
だったら、おそろしい世界ではなく、「こうなったらいいな」という幸せな世界を思い浮かべた方がいいですよね。
上の画像にしても、『戦闘機のパイロット』なのか『旅客機のCA』なのかで、無意識に刷り込まれるヴィジョンは変わります。
そもそも、昭和生まれのわたし(たち)は、「成功や満足は勝ち取るものだ」と教えられました。
世の中は競争に満ちていて、生き抜くためには「戦うしかないのだ」と。
しかし、そうした仕組みの先にあったのは、戦いに疲れた人の山。
あるいは、頂上から蹴落とされることを恐れる、かりそめの勝者が怯える世界でした。
つまり、圧倒的に幸せ感の薄い社会だったのです。
もちろん、幸せになった人もいますが、彼らは頂上をめざすよりも、中腹に穏やかな庵をつくった人たちでした。
そもそも、『平和』は戦って勝ち取るものではありません。
戦いそれ自体が、平和と矛盾していますから。
そうした戦いは多くの場合、誰かと誰かを競いあわせることで利益を得る人が仕掛けたデスゲームです。
あまりその点をふくらませると、安易な陰謀論に行き着いてしまいますが、『競わせる人』は何も闇の大資本家などではありません。
実は、親だったり、先生だったり、上司だったり、身近な人なんですね。
むしろ最もやっかいな点は、競わせている人に悪意が無かったことです。
多くの場合、競わせることは『正しい行い』『やる気を出させる働きかけ』だと考えられていました。
いずれにせよ、社会システム全体が『互いを競わせる』ことをエネルギーにしたのが『近代』だったのだと言えます。
しかし、競争意識は憎しみに変わりやすく、勝利で得られる快感には持続性がありません。
その割に中毒性が高いため、一度それを味わった人は、くり返しマウントを取りたがります。
殺伐とした世界になってしまう由縁です。
ただ、ラッキーなことに、そうした仕組みの限界が徐々に明らかになり、世界は『持続可能な幸せ』を求めるようになってきました。
『トラスト・プロジェクト』で描き出したいのは、それが実現した穏やかな未来です。
早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け
みんなで行くには進め方が大切ですね 😊
『トラスト・プロジェクト』の公式Twitterはこちらです ▼▼▼