西洋美術史とはレシピである

わたしは岡田斗司夫さんを『現代日本の最高の知性の一人』だと思っていますが、昨日見た動画も大きな示唆にとんでいました。
テーマは『西洋美術史』ですが、いかにそれが日本人にとって関係ないものであるかを、例によって、おもしろおかしく語ってくれています 😊

わたし自身は、小さい頃から絵を描くことが好きだったので、長じて美大に進み、西洋美術史をガッツリ学びました。
思えば、その『日本人に関係のない教科』に通じたことが、人と違った指向に拍車をかけてしまったのでしょう 💦

ともあれ、その勉強は完全にムダだったわけでもありません。
上記動画では、ヨーロッパの歴史/近代主義を理解する上で、力の中心がキリスト教関係者から王侯貴族にうつり、やがて市民にまで解体されていく過程について語られていますが、そのダイナミズムを美術ほど端的に感じさせてくれるものはないからです。

大雑把に言えば、こんな流れになります。

画像
世界の中心は神であり、キリストでした
画像
やげて『力』は、神/キリストから教皇へ
画像
さらに、教皇から王侯貴族へ『力』がうつると……
画像
市民「やってらんねぇ!」= 革命が起きました
画像
市民文化の開花

日本は、以上の流れを自分たちでは体験しないまま、明治維新で丸っと輸入したわけです。
輸入をした以上、岡田さんが誇張して言われるように「全く関係ない」わけでもないんですが、ありがたさが薄いことは事実ですね。

こんな風にも考えられます。
モダニズム/近代主義をひとつの料理だとすれば、西洋美術史はレシピにあたる、と。
見よう見まねで再現できる人もいれば、本場のレシピを知りたい人もいるでしょう。
西洋美術史を学ぶとは、わたしたちの生活の土台を知ることだと言えます。

ちなみに、「日本人には関係ない」と言いつつ、岡田さん自身はそのレシピに通じているからこそ、先が見通せているんですね。
『評価経済社会』の先見性とか、本当に見事です 😊

▲ この動画の18:20あたりから。圧巻です 😊

毎日更新しているnoteもどうぞ ▼▼▼

歴史の英知を共有していきましょう!

サイニック理論の『不良老人』問題

サイニック理論の未来予測はおおむね理想論的なものですが、問題意識が欠如しているわけではありません。
社会が自動制御され、競争よりも協創に比重がうつっていく反面、そうした進歩や変化を受け入れない/受け入れられない人たちが出てくるだろうとも見ています。
それが、タイトルにかかげた『不良老人』問題です。

別な言い方をすれば、昭和的な価値観やスタンスを手放せない人たちの存在ですね。
安芸高田市で起きている議会の機能不全の問題も、結局のところ、そのバリエーションなのだと思います。

安芸高田市は市長の発信力によって問題が明るみになりましたが、同じようなことは日本中の議会で起きているはず……
ただし、わたし自身はこの問題をもう少しデリケートに捉えています。

というのも、今後ますます技術革新は加速していきますから、『キャッチアップできない』ことは当たり前になると思うのです。
ましてや、『セカンド・ルネサンス』と呼ばれるほど、人類史上最も大きなパラダイム・シフトが起きているのだとすれば、全員が変化を受け入れられなくても当然。

つまり、「不良老人を更生させる=全員に時流の変化に追いついてもらう」よりも「不良老人と共生する=価値観の違う人を許容する」方が、現実的だと思うのです。
『他人を変えることはできず、変えられるのは自分だけ』という観点からも、後者のアプローチに可能性を感じます。

一方、別な視点で見るならば、時間のズレ(=時流へのスタンス)がある人同士で空間を共有(=同じ場所で生活)することに無理があるのかもしれません。
実は、同じような問題は100年前にも起きています。
ナチスドイツが押し進めたナショナリズムは、『この非常時に世代間の溝を深めるべきではなく、国家としてまとまらなければならない!』という論理に裏打ちされていました。
つまり、違いを力づくで解消しようとすれば、おかしなことになってしまうのです。

もしかしたら、アーリー・アダプター同士で固まり、ラガード同士で集えば、いさかいの種が減るのかもしれません。
もちろん、それはそれで別の問題が生まれそうですが…… 😊
ともあれ、ひとまずは「このあたりに問題があるよ」という意味のピン留めです。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

毎日更新しているnoteもどうぞ ▼▼▼

歴史の英知を共有していきましょう!

この時代を生きている喜び

『今』は本当に歴史的なタイミングです。
まさか自分が生きている間に、ルネサンスと同程度の(あるいは、それを超える)パラダイム・シフトが体験できるとは思っていませんでした。
運がいいなぁ〜 😊

ただし、それが括弧付きの体験であることも認識しています。
世界では引き続き悲しい戦争が続いていますし、日本国内にも問題は山積みですから。
セカンド・ルネサンスの喜びは、ある種の限定性を持っています。

もちろん、実社会にも希望はあります。
たとえば、安芸高田市の石丸市長さんの存在などは、とても大きいですね。
昨日は、古舘伊知郎さんとの対談動画に、何度もひざを打ちました 😊

これからは、自分の時代性を自分で選ぶ時代です。

毎日更新しているnoteもどうぞ ▼▼▼

歴史の英知を共有していきましょう!

時代性を選ぶ時代

『シンギュラリティー/技術的特異点』という言葉があります。
提唱したのは、レイ・カーツワイル博士で、当初の定義は「10万円のコンピューターの演算能力が人間の脳の100億倍になる」というものでした。
10万円という金額は一種の比喩なので、『パソコンが』と言い換えてもいいでしょう。

ともかく、身近なコンピューティング・システムが人間の能力をはるかに超えていく、という推測でした。
そういう意味では、「もう、そうなってる」とも言えますよね。
今やわたしたちは、ネットを介して生成AIを気軽に使えるようになっているからです。

ただし、それらは最先端の状況で、日常生活にはあまり大きな変化は見られません。
最近のわたしの関心はそのことです。
たとえば、ラガード(最後まで新しい技術に手を出さない人)層は、今後ますます増加していくと思います。

半世紀ほど前、昭和の時代には3C(クーラー、カラーテレビ、カー)があこがれの対象でした。
それらはそれらで最先端技術だったわけで、ほとんどの人がその欲望を共有していました。

しかし、ことAIやメタバースに関しては、それらを積極的に使いたい人がけして多くはない感じです。
善い悪いではなく、先端技術があまりに日常生活とかけ離れてしまったからでしょうか?
「お金があったら、宇宙にいける」なんてのも、そうですね。

それを『格差』と呼ぶ人もいますが、わたしはもっと穏やかに単なる『違い』のような気もしています。
最先端=幸せではないので 😊
アーミッシュのような、18世紀的な生活にあこがれる人も出てくるのではないでしょうか。

それぞれの人が、それぞれの時代性を選択する時代ですね。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

毎日更新しているnoteもどうぞ ▼▼▼

歴史の英知を共有していきましょう!

『無い』を『有る』に変える秘訣

無い物ねだり』という言葉があります。
自分が持っていない物を欲しがるという意味ですが、欲しくなる物って、だいたいは『持っていない物』ですよね。
すでに持っている物を欲しがることはないので。
そういう意味では、二重表現とまでは言いませんが、『違和感を感じる』みたいな語感です。

ともあれ、お金とか、恋人とか、自分にあった仕事とか……
お悩み相談の大半は『無い物ねだり』だったりします。
『無いから欲しい』の堂々巡りです 😊

しかし、『無い』にフォーカスすると、残念ながら望みはかないません。
現実世界は自分が『当たり前』だと思っている通りになるので、「実際に無いから困ってるんだよ」と強く思えば思うほど、願望実現が遠のく理屈です。

これって、ある種の逆説パラドックスだと思います。
一旦「無いから欲しい」と思わせておいて、「そう思うからかなわない」なんて……
ずいぶん意地悪な展開です。

そして、この展開が自然に起こるからこそ、人の悩みは尽きないのかもしれません。
悩みって、簡単にはわからない謎解きみたいなものですね 😊

一方で、「願いは心に浮かんだ時点で、かなっている」とも言われます。
自己啓発やスピリチュアルの分野では、いろんな人がいろんな説明をされていますが、言われていることはほぼ同じ。
『無い』にフォーカスするのではなく、『有る』を意識しましょう、という導きです。

ただし、理屈っぽい解説が好きな人もいれば、ふわっとした語りが好きな人もいます。
そのあたりは単純に『あう/あわない』の問題ですが、わたしは理屈寄りなので、以下のような説明がしっくりきます。

人が何かを『欲しい』と思うのは、それを手に入れた時の喜びの記憶(に類する感情)が自分の中に『有る』からです。
そして、喜びのマックスは実際に手に入れた後ではなく、手に入れる直前(手に入っていない最後の瞬間=期待の最大値)に訪れることが、統計的にわかっています。
アイスを味わっている時も幸せですが、フタをあける時のワクワク感の方が感情の揺れは強いということ 😊

だとしたら、『欲しい』の延長線上に、その期待の最大値は『有る』ことになります。
その感覚をくり返しイメージしていれば、願いはかないやすくなるし、たとえかなわなかったとしても、願いにまつわる喜びをすでに味わい尽くしているという道理です。

勝利の瞬間を思い浮かべるイメージトレーニングも、日本古来の『予祝』という習慣も、理屈としては同じ。
羽生結弦さんが、ソチオリンピックに向かう飛行機の中で、泣いていた話は有名ですね。
実際に金メダルを取った時の感想も
「飛行機の中でイメージしすぎて、飛行機のほうが感動しちゃいました」
でした 😊

「そうなった時の感情をあらかじめ味わうことが、願望実現の秘訣」と言われる由縁です。
そうなることを潜在意識レベルで『当たり前』に感じている人が強いんですね。
そのためのコツは、善き言葉を使う人と一緒にいることです ❣️

毎日更新しているnoteもどうぞ ▼▼▼

歴史の英知を共有していきましょう!

PAGE TOP