言葉の添加物とは?

わたしは長い間、食べることにあまり興味がありませんでした。
きちんと料理をするようになったのは、7年ほど前に再婚をしてから。
そして、妻は添加物や加工品を極度に嫌うので、ずいぶん健康的な食生活になりました。

おかげで、身体の調子がすこぶるいい。
食べることって、本当に大切だと思う昨今です。

そう言えば、以前、坂東玉三郎さんが『きちんと食べることが大切』という話をされていて、驚いたことがあります。
芸の最高峰にいらっしゃる方なので、勝手に生活からほど遠いイメージを持っていましたが、土台あっての建造物。
大谷翔平選手も、そうですね。

ところで、『人は言葉と食べ物でできている』という教えがあります。
言葉と食べ物は、どちらも身体に入れるもの。
言葉は目や耳から、食べ物は口から身体に入って、人をつくります。
言葉に関しては、その後、脳内で自然培養もしますね 😊

なので、善い言葉や食べ物を身体に入れることが大切です。
そして、さらに重要なのは、悪い言葉や食べ物を身体に入れないこと。
特に、悪い言葉が脳内で自然培養されるようになると、人は不安や怒りにかられていきます。

刺激の強い言葉は添加物であり、不自然に甘ったるい言葉は加工品。
それらを避けることが、健康の秘訣ですね ❣️

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「これまで」と「これから」の狭間で

経営実践研究会という団体で、サイニック理論の研究をしています。
サイニック理論によれば、現在は時代の大きな変わり目であり、『最適化社会』と呼ばれています。
その特徴は、ざっとこんな感じです。

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『最適化社会』
の大きな特徴は、考え方の基本となる『OSの大転換』です。
ルネサンス以降、20世紀までの社会が進めた利益優先主義では「地球が持たない」という認識から、何を大切にすべきかが大きく変わってきています。
持続可能性を意識しなければ、すべてが共倒れになってしまう……

そうした危機感が生まれたのは1960年代ですが、そこから半世紀を経た転換タームが『最適化社会』というわけです。

以上のことは、時代の流れに乗っていれば自然に感じられますが、逆に言えば徐々に変わった部分もあるので、ピンと来ないところもあると思います。
たとえば、所有と共有など。

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かつては『カッコイイ車に乗っていること』がステイタスでしたが、現在では『複数人で大切に使うこと』も奨励されています。
「いつから変わった」「どんな風に変わった」は、人によってイメージが違うはずですが、シェアリングエコノミーはインターネットと強く結びついているので、やはりここ50年の変化ですね。

ちなみに、サイニック理論では『最適化社会』の後に『自律社会(2026〜2032年)』が到来すると予想しています。
この自律は『各自が自分の資質と指向にあったあり方を選択できる』といった意味合いです。

このところ、わたしが考察を進めている『運』『努力』の比重につていも、その文脈でイメージしていただくと、わかりやすいかなと思います。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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どの山にどんな風に登りたいのか?

少し前から『運』『努力』について考えていますが、別のアプローチで言えば、これは「何をどう求めているのか?」というテーマになります。
さらに比喩的に言えば「どの山にどんな風に登りたいのか?」ということ。

たとえば「世界一になりたい」はエベレスト、「日本一になりたい」は富士山にたとえられますが、みんながみんな、それらの山に登りたいわけではありません。
むしろ、足腰に負担がかからない、日帰りできる登山が好きな人の方が多いのではないでしょうか。

また、同じ山に登るにしても、行けるところまで車で行くのが好きな人(あるいは、そうせざるを得ない人)もいれば、「険しいルートを通ってこそ、山登り!」という方もいらっしゃるでしょう。
つまり、正解・不正解ということではなく、自分は「どの山にどんな風に登りたいのか?」を知ることが大切だと思うのです。

話を『運』『努力』に戻すと、自分が立っている場所までこられたのは「運がよかったから」なのか、「努力をしたから」なのか……
これまた、人によって感じ方は違うと思います。

そして、目的地までの道のりを楽しみたいのか、途中は苦しくても最後の達成感を味わいたいかも千差万別。
それも、人によって比重が異なります。

ここから先は個人的なイメージですが、『運』に重きを置く人が求めているのは『幸せ』や安心・安全な『穏やかさ』という気がします。
一方、『努力』に比重を置く人は『成功』『達成感』を求めている感じです。

これ、スポーツチームの中に『和気藹藹あいあい楽しみたい』人と『優勝したい』人がいる感じですね。
登りたい山とルートが思い切り違います 😊

それぞれの思いを尊重した上で、ルートの近しい人でチーム編成するのがいいのでしょう。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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文字が目に入ってこない清々しさ

友人に誘われて、目白で開催された瞑想会に参加してきました。
場所は、目白庭園。
暗くなっていたので、お庭はよく見えませんでしたが、とっても素敵な施設(=茶室)でした 😊

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立派な正門
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10畳の和室です
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8畳の和室の床の間

公共の施設ですが、張り紙などがほとんどなく、そこにグッときました。
特に、茶室内に『文字』が無いって素晴らしいですね。
たいていは「〇〇しないでください」みたいな注意書きがあるものですが……
そんな札が一枚あるだけで、脳は休まりません。

瞑想会自体も善かったのですが、目に文字情報が入ってこないことが、これほど気持ちいいとは思いませんでした。
つまり、瞑想の効果が倍化した感じです。

そして、だからこそ、掛け軸の書を味わえるんだな、とも思いました。
調べてみたところ、比較的安価に借りられるようですね。
最後に施設のサイトを貼っておきます 😊

豊島区立 目白庭園 目白庭園は、四季折々の様々な自然や数寄建築の「赤鳥庵「六角浮き見堂」が配された、日本の伝統文化を身近に感じることができる庭 mejiro-garden.com

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感謝と希望はつながります

わたしは人生を豊かにするのは『感謝』『希望』だと考えていますが、昨日は『感謝』について書いたので、今日は『希望』について思うところをつづってみます。

『感謝』『今ある状態』に対する反応として気持ちを過去に飛ばすのに対して、『希望』は気持ちを『いずれこうなるだろう』という善き未来から引き寄せる営みです。
それをそのまま『引き寄せの法則』と言ってもいいのですが、いきなりスピリチュアルに行かなくても、わたしたちは自然にそうした感覚を使っています。

「このお菓子、美味しいだろうな」というのも、希望の一種です。
つまり、わたしたちは、日々小さな希望をたぐり寄せて生きているんですね 😊

そして、人が最も大きな『幸せ』を感じる瞬間は、何かを達成した後ではなく、達成する間際。
たとえば、アイスクリームを口に入れて味わっている時にも幸せは感じられますが、感情がマックスになるのは(統計的には)フタを開ける時だそうです。

人間が心地よさを感じるには『記憶』が大きく関係しているので、その記憶が『確かな期待』として最大値にふくらむ瞬間が、実は『幸せ』という感覚の正体と言えます。
希望をもって進む道は、幸せで彩られているわけです。
だからこそ、過去がどうあれ、顔を上げて『希望』が持てれば、幸せな道に踏み出したことになります。

ところで、一旦『感謝』の気持ちは「過去に飛ぶ」と書きましたが、『希望』との関係で言えば、本当は未来にも『感謝』のイメージを投げることができます。

というのも、人が悪態をつくのはものごとがうまくいかない時であり、感謝の念がわくのはうまくいった時。
つまり、未来のできごとが首尾よくいくのなら、その時、人は『感謝』を感じるはずなのです。
つまり、『希望』を持って進んだ先には『感謝』があるんですね 😊

そして、未来の感謝の種は『今』にこそあります。
今起きている現象がどんなことであっても、それが未来の『感謝』につながるのだとすれば、現象の中に『希望』を見い出すことができます。
少しばかり練習が必要ですが、ものごとの善い面にフォーカスしていくと、感謝と希望のサイクルはスピードアップします。

『感謝』『希望』って、実はセットなんですね ❣️

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