AIで映画を作ろうと思ったきっかけ

現在制作中の短編映画では、多くのシーンでAdobeの『Character Animator』というアプリを使っています。
謂わゆる『動画生成』ではありませんが、イラストに口パクをさせるリップシンク機能にAIが使われているため、そういう意味で「ほぼ全カットでAIの助けを借りて」いる形です。

というわけで、本日のショート動画はこちら ▼▼▼

動かすまでの準備が若干手間ですが、一度キャラクターをつくってしまえば、しゃべらせるのは「台本作成 → 音声生成 → リップシンク」という流れで、どんどんシーンをつくれます。
何より、自分がしゃべる緊張感から解放されます 😊

こちらが、『Character Animator』のメインページです ▼▼▼

https://www.adobe.com/jp/products/character-animator.html

【 ショート動画/一覧 】

スマート帽子

ドローン付きの傘もそうなんですが、帽子というウェラブル・コンピューターのアイデア自体は以前に生成AIで画像をつくったことがあります。
しかし、動くと、やっぱり臨場感が違いますよね。

そして、ホントに、これはつくってくれたら嬉しい。
メガネをかけない人間からすると、『スマートグラス』になっても、わざわざそれをかけるのは、わずらわしいので 😊

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ドローン付きの傘 —— ショート動画 ▲

昔から、「傘のデザインって、どうにかならないんだろうか?」と思っています。
といって、自分で何か思いつけるわけではないので偉そうには言えないんですが、あの真ん中に棒が立って布が広がっている形状に不満なんです。
そもそも、棒をどちらかの手で持たなければならない以上、頭の真ん中に傘の中心がビシッときません。
そういう意味では、まだ笠の方にグッときます 😊


そんなこんなで、ドローンをつけて「持たなくてもいい傘」というのに、ちょっと憧れています。
飛沫がとぶので、そのあたりは工夫が必要ですが。
1年ちょっと前、そんな画像を生成AIでつくったこともあります。

ただ、画像だと(自分でも)なんか「ふ〜ん」って感じでした。

やがて時は流れ、時代は『動画生成AI』に。
動かしてみると、もうちょっと臨場感がわきますね 😊

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日本人の定義としての『日本語』

このところ、世代間の感覚の違いについていろいろと考えていますが、逆に共通項の希望もあります。
それは『日本語』です。

もちろん、これまた世代によって使い方やニュアンスは違いますが、相違点にばかり着目していると、人は不幸になりがち。
「あなたとわたしは違います」という感覚は、端的に分離意識なので、その果てにあるのは孤独だからです。

一方、共通点にフォーカスすると、人は『つながり』を感じられます。
たとえ細かい要素は違っても、『日本語』という大枠を共有していることの安心感と希望は遠大です 😊

ちなみに、わたしは『日本人』の定義を『日本語をつかう人』としたらいいんじゃないかと思っています。
というのも、『人=民族』という公式にはいろいろとややこしい、そして悲しい歴史がからみ過ぎるからです。

また、「日本で生活している外国生まれの人」「外国で生活している日本生まれの人」のいずれも包括できる概念は何なのか? と問う時、『言葉』は魅力的な鍵になってくれます。
ある意味で、言葉は『道』に近いのかもしれません。
それを極めた人も、そこに最初の一歩を踏み出した人も、『道』はひとしく『その地平を歩む者』と定義づけてくれるからです。

茶道、書道、剣道、柔道・・・
にならって言えば、『語道』かな? 😊

さらに言えば、宇宙への進出が当たり前になれば、『国境』という物理的な境界は国家の輪郭りんかくとしての意味を失います。
その時、『日本人』の規定は、『日本語をつかい、日本の法を遵守する人』になるはずです。

言葉の歴史に感謝し、言葉の未来に希望をいだくことは、人生の幸せに通じるのではないでしょうか。

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい

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マンガに見られる世代の違い

時系列に、日本のマンガ(に代表されるカルチャー)が子供化していく流れを解説した山田玲司さんの動画です ▼▼▼
このまとめ方は、ムチャクチャわかりやすかった!

ちなみに、わたし自身は第2世代から第3世代あたりにマンガ体験が濃かった人間です。
なので、実は手塚さんや赤塚さんの作品って、オンタイムでは苦手だったんですよね。
ちょっと乗れなくて・・・
逆に、後の世代にあたるスラムダンクも、連載当時ではなく、後から読み直した感じです。

つまり、マンガという大きな枠組みの中にはたくさんの作品がありつつ、そこにはいろんな世代が混じっているということ。
だから、個人的な嗜好ももちろんありつつ、『各世代にうける作品』があるんだなぁ、と。
そのあたりの感覚が、とても腑に落ちました。

そして、そうした世代間の違いは、格差と呼ぶよりも、単に『偏差』なんだと思います。
どこかの世代が優れているといった話ではなく、技術進展や価値観の変化によって異なるリアリティーが生まれる現象だからです。

問題は、そうした違いを『どう共存させていくか?』ですね。
ビジネスよりの人たちはすぐに『最先端』に行きがちで、もちろんそれはそれで大切なんですが、実際にはリアリティーが1つの世代(感覚)に集約されることはありません。
これからの社会課題は、そこかな、と思っています 😊

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